眠気と改心したhappy

にぎやかなストーブだな

感覚

閾と頂のあいだで短い生を見る

取り込み、はき出し

見ることさえときには忘れて

左腕と右腕の感覚が和らいで

地面にぽとりと落ちた

土から芽が出て

ぼくは自らが

消えていくようだ

頭の半分が頭にめり込んで

完結した道で

ぼくの思う最高が

現れるのは

閾と頂の

遥か深部

深いそこでぼくは

体育座りで

寝ず

食べず

湧かず

石になる

暗いそこでぼくは片目を閉じる

左足が浮いて

頭上を越えて

首元に刺さる

ぼくは

ぼくはそこで自らの生を生きる

かすかな光は

パンくずのようだ

でもぼくはすでにパンくずを

見失った

散りになったまつげたちの行列

暗い中でわかる

黒い毛

なきものを掴む手は

しっかりとぼくの手を掴んで

どこにもいかないで

と穏やかに

呼び続ける

永遠のぬるま湯のなかで

ぼくは時間のない

時間と生きて

左腕から伸びたチューブに

微笑みかけながら

皮膚だけ残して

どこかへ消えていく

皮膚はここで

絶えず流されて

どこにもいかない

なにも考えない皮膚が

決して沁みない水に

浸され

留まる

水の中で皮膚は

動かない

誰も

見ない

すくわない

素敵な時間

過去はなかった

未来はない

現在はわからない

皮膚の擦れる音は

まるで痛み

誰も呼ばない

来ない

満たされない

風が吹かない

どこにもいかない

心が

すべての場所にある

なにも感じない心が

平穏

ぼくは横になる

埋もれていく

どこまでも

止まったまま

落ちていく

砂の中に

砂漠になる

まるで乾いていない砂漠に

どこまでいくのか

そう

どこまでもいかない

どこまでも行っていない

明日

ぼくはいつものところにいる

明日

そんなものはない

ぼくは両目を閉じて

自分の熱を教えられる

どこにいくんだい

どこにもいかないさ

どこにだって、いけないんだから

それはいい

どこにもいくな

ここにあれ

ここでいい

安らぎ、求めるな

お前はここで

ゆっくりと呼吸し

かすかな心音を聴き

消えていく

砂になる

水になる

それは素敵なことさ

ぼくはそこで生きる

理想郷で

ぼくは不満気に

かつ満たされたように

漂う

それがぼくの生

生きること

この手で

掴むものはどこにもない

この足で

踏むものはなにもない

この目で

見るものはなにもない

この耳で

聴くものはなにもない

この頭で

考えるものはなにもない

生きること

自らが緩やかに消えていく

縮まっていく

やがてしわになり

川が流れる

ぼくの中で

皮膚に

石が

流されないでいる

石の上に

幼いぼくが

体育座りして

憂い顔を

している

水になりたいと

少年は

いない

時代の終わりに

 人々には足があり、足にはそれぞれの形がある。人々の足はほとんど二本で、それを規則的に動かして歩く。歩いて行動範囲を広げ、他人との接触を図ろうとする。

 田辺という男は足が並ぶ姿を見てこう思う。足を飾ることについて私の考えはこうだ、靴というものはプロテクトする以上にどんな価値があるのだろう。田辺という男はゆっくりとカフェから出て、紅梅通りを駅の方向へ歩き出した。道行く人々はその足をもって、田辺という男に近づいたり、遠ざかったりする。面白いことに彼は誰にも頓着されない男で、道行く人たちのほとんどに人間扱いをされていなかった。風や蟻のようにすり抜け、彼が考える方へと向かうそれだけの機構は、自動車の騒音によって服の擦れる音や、呼吸のリズムがかき消され、ただのひとがたとして紅梅通りを移動する。駅までは四箇所ほど歩行者用信号があって、そのうち三回は足止めを余儀なくされた。彼はその間仏頂面で、駅に行って自分は何をしよう、などと考えていた。空は鈍色だった。利用価値なんてものは燃え尽き、ただそこにあるだけになってしまった灰のような空で、田辺にとってこの空は小学校の運動会を思い出させた。校長の話で校長が登壇し、天候の話をはじめる。「本日は天候に恵まれず、体育館での……云々」。田辺の小学時代の校長は相良といい、メタルのメガネをかけ、いやらしい日焼けが顔面に現れている。その上、年相応なしわが目立ちはじめていた。相良はこの小学校に来るまで、もっと栄えていて吹奏楽が有名だった駅周辺の小学校の教頭をしていた。PTA役員の盲目的で積極的な姿勢と、校長の優柔不断な態度の板挟みになって、毎日が苦労の連続だった。家に帰ると娘が受験勉強をしていて、そこまで偏差値が高い志望校でもないのに、どうしてそこまで勉強するのかと不思議に思いながら、ネクタイを緩めて面倒くさそうに台所に立ちカレーを混ぜている妻に娘の様子を聞いてみる。「なあ、はるは、最近どうなんだ」相良は左手で頭を掻いて、右手でネクタイを仕切りに動かしている。白髪混じりの相良の頭から粉がはらはらと舞い、妻がかき混ぜているカレーの中に埋もれた。「どうって、普通ですよ」振り返りもせずそう言った妻の髪は乱れていて、女という威厳をすでに忘れ耳たぶには若き日の跡が見えたが、それはもうふさがっていたし、うなじは最近肌荒れがひどいらしく目も当てられないほどに赤らんでいる。そして妻は相良が帰ってきて一番はじめにいった言葉が、先ほどの生返事だった。相良はとくべつ諍いを起こしたいわけでもないし、もとよりそんな気力はないわけで、カレーの匂いを数回嗅いでから、そうか、と呟いて書斎に引き返していく。その間に娘の部屋が見えた。相良は娘のことが気になる。ノックは丁寧に三回して、名前を呼んでみる想像をして、ものすごく嫌がられる気がすると考える。コンコンコン、はる?お父さんだよ。飾ろうとしていない女の声。低く、宙ぶらりんな声が扉の向こうから聞こえてくる。その声は八畳に満たない部屋を満たし、それに飽き足らず漏れ出していた。熱の法則のように平衡を保つため声が相良の耳に聞こえてきているのは、司れば聴覚が相良の身体で正常に機能しているからだった。娘の柔らかな服が擦れる音も耳をすませば聞こえてくるし、排泄音も耳をすませば聞こえてくる。耳で娘を抱きしめて、その音は消滅する。まるで夢のようなものを起きたままで五感は察知する。カメラという機械より窓の方が何倍も優れているのは、そういうところなのだ。相良はとってに手をかけて返事が聞こえたのだから、そういうことだろうと思い力を込める。ここで相良の頭になにか引っかかるものを感じる。déjà-vuのようで何か違うその感覚、jamais vuとも違うその感覚。甘く懐かしいその感覚は穴のようにぽっかりと空いていて、その周辺では光が吸い込まれている。娘の部屋の扉を開こうとし、その感覚に苛まれて背筋が凍った。顔を上げてその扉を眺めると、相良の顔二つ分ほどの大きな黒々とした穴が実際に見えて、相良は頭からその穴に吸い込まれていく。アリスのように吸い込まれていく。そして穴の中で身体が浮遊している感覚を覚える。懐かしく甘美な記憶が辺り一面に漂っている。目を凝らし、その懐かしく甘美な記憶を一つ一つ確かめてみる。相良は現前するノスタルジーというアイロニーに頭を悩ませることなく、目玉から涙をほろほろと落としていく。その涙は頬を伝い鼻を伝い、ついには相良から離れ雫となりただただ自由落下を続けていく。重力加速度gは四方八方に張り巡らされている。相良は泣いている。その涙もやがて覚める。涙はすぐに覚めてしまうものだ。涙というのはある意味第六感的な意味合いがあるのだ。窓であるし、聴覚でもある。その覚めた目を擦ると、相良はあることを知る。そこに溢れるノスタルジーが差し示しているものは全て同じであることに。9.80665 m/s^2で、人間の足を引っ張る。懐かしいあの日と、懐かしいあの人、女。相良にメタルのメガネが似合うことを教えた、園田という豊満な身体の女の部屋は入ってすぐにベッドがあり、正面に障子窓が見え左手にクローゼット右手に洋服箪笥がある、六畳程度の狭い部屋だった。その部屋には身体がねじれて下半身が破裂してしまいそうになる匂いが充満していて、園田に抱擁されるたびにその匂いに酔い、酔いが覚める頃には裸で二人抱き合っていた。手をゆっくりと布団の中へ這わせ、生暖かい園田の裸体に触れている間に聞こえてきた声は園田の甲高い声。相良は驚くも少ない知識で自分自身を納得させる。湿り気があるその中へ後ろ歩きで歩んでいく。ベッドが軋む。黒い影がぞわぞわと現れて部屋の中心の、相良と園田のやりかけの宿題が置いてあるテーブルにひょいと飛び乗ったのは園田の飼い猫である、クッキーという白猫だった。その気品溢れる白猫の首には赤い首輪がまかれている。園田の首元には黒いチョーカーが巻きついてある。共通点はどちらも鈴が付いているということで、鈴がついたチョーカーは相良の好みだった。なぜかというと、ドギー・スタイルでのセックスでは女の情けない喘ぎ声に相まって、その素朴で質素な鈴の音が魅力的に響くからだ。相良は鈴の音が好きだった。かつて園田と初詣に行き、大きな大きな鈴を鳴らした。園田は二拍二礼一拍を知らなかったし、手の清め方すらも知らなかった。「汚いよ」園田はそんなことを言っていて、相良はその言葉を聞き、この女をいつか殺してやると考えていた。それでも殺さないで済んでいるのは、その女の喘ぎ声がほとんど死を目の前にした獣の声と同じだからだろう。その獣の声は、園田と相良が初詣に出かけた比嘉神社の鳥居の両方でお互い向かい合っている、伝承上の獣、イヤザオハを連想させた。そしてクッキーのにゃあという緩んだその鳴き声を聞いた相良と、一人で二拍二礼一拍を済ましこれからの人生を、人生という言葉を使わずに考えている田辺の間には度し難い差異があることはなぜ拙著、なぜこんな小説を読んでいるのか(新潮社)にて詳しく説明しておいた。

そうだろ

SI 俺達は昔から この街に憧れて 信じて生きてきたなぜだろう 思いだした 景色は 旅立つ日の綺麗な空 抱きしめて

断片小説集

 水を見ていたら、人魚が現れた。

「こんにちは」

「あらこんにちは」

 人魚は嬉しそうに体をぴちぴちさせていた。それが波となってぼくの体にかかってきた。そしてずぶ濡れ。

「ブッ殺すぞ!」

 鳩が豆鉄砲を食らったような目をした人魚は、人魚の人形でしかなかった。いったいなにから生まれた殺意だったのだろう?

 


😔

 

 カーテンの後ろ側にサラダ油があると泣き出してしまう成人男性の70%は尿結石に悩んでいます。

 

😔

 


 パソコンの右下にポップアップが現れる。大学の課題であるスライドを作成中のトモヒロは、危うくポップアップをクリックしそうになった。卑猥なポップアップでも、マカフィーのポップアップでもない、謎のポップアップだった。まるでパソコンの液晶にそぐわない暗黒を映し出すポップアップを、トモヒロは見覚えがなかった。

 トモヒロはそのテーブルに頬をつけて、そのポップアップを覗いてみた。するとトモヒロに指差す教授が見えた。

「トモヒロくん、お願いね」

 


😔

 


 ウラジーミル・コリャトフ三世は、おそろしく頭が回る男だった。扇風機よりも頭が回った。夏場、ウラジーミル・コリャトフ三世は引っ張りだこだった。ウラジーミル・コリャトフ三世の従兄弟である、ウラジーミル・モラトフ二世はステパン・コリャトフ三世のことをこう回想している。

「ウラジーミル・コリャトフ三世は類い稀なる知性を持つ男だった。おそろしく頭が回り、街の人気者だった。ウラジーミル・コリャトフ三世は、モスクワ鉄道の移動距離以上も離れているところに住んでいるけれど、ウラジーミル・コリャトフ三世の話を聞かなかった日はなかったように思う」

 二十年後。

 ステパン・コリャトフ二世は、もうこんな小説はやく終わっちまえよ・ステパン・うんち七世を息子に迎えた。

 


😔

 


 パン工房のクーニャンは、商売が上がらないことに憂いていました。憂いていると、なんと、パン工房自体の形が変化していくのでした。なんだか、カペリートってアニメを思い出しますね、鼻を二回つまむと主人公の傘が変わるアニメなんですが。クーニャンはそのパン工房の特性を生かして、形が変わるパン工房として売りだしました。

 当然、パン工房は有名になり、テレビや雑誌に取り上げられました。ですがクーニャンの日に日に積もる性欲はパン工房では解消できなかったので、翌朝クーニャンは駅前の公園でホームレスとセックスをしました。

 こうして、パンは作られるのです。

 


😔

 


 水木しげるを殺したのはある妖怪でした。ぼくです。

 


😔

 


男A なんだか悲しくなってきたよ。

 


ここで男Aの親指と親指の爪から涙が溢れる。女Aが下手から悲劇の女を気取って現れる。

 


女A もうどうにもできないのね。かわいそうに。

男A は? 誰ですか。

女A 秋山です。

男A あ、ぼくも秋山です。

女B 私はボブです。

 


女Bは舞台から降りて祖国へと帰っていく。

 


 


😔

 


 葉先に光る朝露が、朝日に照らされ輝いて、紀貫之の目が覚める。ミセス・貫之寝癖付き、見て見ぬ振りして、朝寝坊。目覚まし時計が鳴り響き、やっぱり見ぬふり、朝寝坊。ミセス・貫之筆を持つ、夢の中で筆を持つ。紙に滲む点と線、濃淡これが境界線。書きはじめはこうである。

〈「アーン!イクー!」やっぱね、藤原のは大っきくて最高よ。〉

 


😔

 


 車体を傾けるためにはハンドル操作が必要です。右に回せば右に傾きます。左に回せば左に傾きます。ではどちらにも傾けないと、どうなるでしょうか?あなたの胸に聞いてください。

『安倍やめろ!』

 


😔

 


 運送会社は忙しい。団地妻を寝とるのに忙しいのだ。

 ところが配達員が今日立ち寄ることになった家は自宅だった。旦那以外の男がわたしの身体を淫らに弄ぶのだろう、と期待に胸や腹を膨らませ、ママ友とのサイゼリアでのランチを終えた配達員の妻は、ヤマト宅急便が運んできた無能の男を見てこう言ったそうだ。

「あら、あなたおかえりなさい」

 配達員は軽くはにかんでダンボールをぶん投げた反動でいつもより早くトラックへ戻る。

 ダンボールの中には手紙が一枚入っていた。

「卵焼きはもう少し甘い方がいいかな」

 


😔

 


 相良夫人はもう年だというのに、ココ・シャネルの香水で髪を洗っている。もうやめたらいいのに。相良家は相良夫人のココ・シャネル・シャンプーの出費がかさんで、生活が逼迫していた。

「お母様。ココ・シャネル・シャンプーは、気持ちがよろしいのでしょうか?」

「ええ。最近はディオールの香水で身体を洗っているのですよ。わかります?」

 なんと! このアマはどれだけのアホなんだろう! 相良夫人の夫は精神科医をしていて、そこそこお金持ちである。だが、全身を高級香水で纏った相良夫人は家計簿に香水代(ボディーソープ、シャンプー)は含めないどころか、元々の給料からその額を引いてしまっているので、夫は働けど働けど毎月赤字なのだ。相良夫人のなかでは夫はパチンコ、風俗狂いの設定になっている。

「あの!あのこゆきちゃんの身体を何回抱けば気がすむというんですか!?」

 日本にはこういう家庭が存在する。まあブラジルには大量にいるんですけどね。

 

😔

 

 他人の背中を見ていると、自分の背中を見る他人が必ず存在することに気づく。われわれは背中を見られ、そして背中を見て生活しているのだ。そしてわたしがいま見ている背中は、それは女性の背中で(もちろん服を隔て、そこには肉体があるのだが)、藍色の背中である。そこに歪んだしみが見えるのは、わたしの見間違いではあるまい。
 コーカサスオオカブトがそこにいる。藍色の服を着た女の背中に、コーカサスオオカブト……。わたしはコーカサスオオカブトについて何か見識があり、人一倍興味関心があるとは思えない、もっとも二十八年生きてきたが、コーカサスオオカブトについて考えた時間は三十分にも満たないだろう。そんなわたしでも、藍色の服に(それも、女!)の背中にコーカサスオオカブトが見え、わたしは大変困惑している。もう、コーカサスオオカブトのことしか考えられない……。
 わたしはいま、人生でもっともコーカサスオオカブトのことを考えているし、コーカサスオオカブトの研究者を除いて、全世界中でこんなにもコーカサスオオカブトのことを考えている二十八歳男性は、わたししかいないのではないかと思う。つまりわたしは、いまこの瞬間において、コーカサスオオカブトを考えている二十八歳男性という、アイデンティティを持っていて、そのアイデンティティでわたしは、わたしを保証している。が、わたしはコーカサスオオカブトのほかに、藍色の服の女のことも考えている! あわよくばその裸体さえも! そんな、二十八歳男性! ぞっとする話じゃないか! 二十八にもなってこんな体たらく! わたしはコーカサスオオカブトを呪いたくなってきたし、もうコーカサスオオカブトのことなど気にかからず、さらに目線を上に滑らせ、藍色の服の女のうなじを凝視している。わたしは男だ、仕方ないのかもしれない。だがコーカサスオオカブトは? このコーカサスオオカブトがもし男ならば? なぜコーカサスオオカブトは背中にとどまっている? なぜうなじを目指さないのだろう? それでは健全な男を保証してくれないと、わたしは思ってしまう。というかだ、コーカサスオオカブトは藍色の服の女の背中を見ているのではなく、そう、藍色の服の女の背中に、張り付いている……。つまり触れているということ……。そしてわたしは触れることすら叶わずに、こうして、コーカサスオオカブトの細い腕と、たくましい三本の角を見ている……。指をくわえて……。歯ぎしりをして……。藍色の服の女の背中に張り付いているコーカサスオオカブトの、わたしの二本の指ですぐさまつぶれて使いものにならなくなってしまいそうな、その貧弱な手(足?)がゆっくりと動き、女の背中を這う。藍色の服の網目一つ一つに手(足?)をかけ、登っていく……ナイス・クライミング……。三本の角、コーカサスオオカブトの三本の角は、コーカサスオオカブトの自信の表れのようだし、その雄々しさをわたしへ挑発している。「二十八歳男性が、こんな小さなゴキブリのような、黒光りする、蜜を訪ねて回る、賤しいやつの猥褻な行為を眺めるしかできないだなんてな」 というように。

 

😔

 

四時四十六分、わたしはブローティガンの西瓜糖の日々を読んでいた。午睡の夢のようにふらふらと頁をめくっていた。〈それがわたしの名前。〉の次には文章がなかった。空白もなかった。頁と頁の境目。

その境目が裂け目のように見えた。わたしは〈それがわたしの名前。〉が読めなくなるまで顔を本に近づけた。

薄い筋が紙を走っているのが見えた。

髪の毛だ。

わたしは思い出した。この本をむかし、古本屋で買ったことを。

人差し指くらいの長さの髪を手に取る。女の毛だ〈ひょっとしたら、もう真夜中で、ストーヴの火が鐘の音のようになっていたとか。〉

薪の爆ぜる音が聞こえる。

わたしは本を閉じる。そしてひとすすりのためにコーヒーカップに指をかける。

西瓜糖の日々から飛び出た栞。

星野源二本立て

【君の中に入る星野源、それはとてもこっそりと】

 

 智幸の頭の中に獰猛な星野源が巣食っていることは紛れも無い事実だった。

 毛髪のみならず胸、下腹、大腿という大地にいみじくも跋扈する、ありとあらゆる体毛が一つの流れであり、それは生き物のように陰毛へと雪崩れ込んでいく。

 射精のひと時——それは甘美な痙攣——に精液を放ち、大声で「つづく日々の道の先を 塞ぐ影にアイデアを」と叫び、同時にピアノ線のような緊張が一気にはじけるため、体毛が抜け落ちる。だが抜け落ちかたも尋常ではない。陰茎を中心にして堅牢な陰毛が放射状に発射されるのだ。

 そんな星野源だ。

 智幸はその度に「お前、歌詞の才能なくね? 生活とか越えてとかどんだけ使うんだよ」とため息を漏らす。智幸にとって獰猛な星野源の体毛発射行為は日常茶飯事である。今日も明日も南米で喘ぎ死に絶えていく子供たちがいるように……。

 

 今日は晴れていた。智幸はPornhubで知り合いの女を探していた。どこにもいない……。智幸は悲しくなった。なんでいねえんだ、ちくしょう……。智幸は情けない気持ちになり滝のように涙を流す。

 助けを求めて獰猛な星野源に話しかけてみる。

 「俺って、才能ないのかな」

 「おはよう 智幸」

 「源……」

 そう、獰猛な星野源と言葉を交わすと妙な力が湧き出てくる……。それはぐんぐん伸びていくパワー。パワーを試すためにX hamsterに獰猛な星野源の射精動画をアップする。

 


 〈My Hoshino cream pie〉

 Oh……Yes……

 

 獰猛な星野源から手に入れたパワーは本物だった。智幸は確信した。道行く女の砂漠のように乾いた膣にこっそりと陰茎を忍び込ませても女は気付かず、しかし女はこっそりと絶頂に達している……。

 そして獰猛な星野源は射精……。

 

 パワーを手に入れた智幸は、密かに恋情を寄せている、たぶんピンク色の乳輪をその小ぶりな乳房の頂点に咲かせているであろう、祐子という女性に会うつもりで、あるスーパーへ向かった。

 スーパーには大量の生活が売っていて、獰猛な星野源はさらに獰猛な星野源になった。

 そして、射精……。

 夫以外のペニスを求めにスーパーへと駆け込んでくる人妻のために、野菜売り場の前に体を据え、目にも留まらぬ速さでジーンズのチャックを開いた。天狗の鼻の如くそそり立った陰茎……。開放感……。

 祐子を探す智幸は抜け殻になった。なぜなら智幸は祐子を探すために陰茎に力を込め、息つく間もなく射精を繰り返し、精液の赴くままに移動しているからだ。

 苺に精液が付着する。練乳みたいでとっても美味しそうだ。

 抜け殻になった智幸の舵をとるのが獰猛な星野源——ここではさらに獰猛な星野源——なのだ。

 祐子さん! とさらに獰猛な星野源が叫ぶとレジの上に祐子が現れた。

 「ねえはやくぅ。はやくいれてよぉ」と祐子は怒鳴った。

 なんだこのアマ!

 汚ならしい陰毛で、パスタを作ろう。さらに獰猛な星野源は祐子のフルーティな香りの陰茎を、りんご農家顔負けの丁寧さで刈り取り、パスタを作った。

 「陰毛パスタ!」と叫んだ。完成!

 だがどうあがいても陰毛は陰毛だ。パスタにしても陰毛だ。アンチョビと陰毛は相性が悪かった……。

 なんとなくパイパンになった祐子を見ていると、怒りがこみ上げてきた。

 その怒りは一点に集中していく。そう、ペニスだ。射精!

 「死ね!」

 と叫ぶ間も無く祐子は弾け飛ぶ。ものすごい勢いで射精したからだ。ガン・ペニスと呼ばれていた。

 『彼のペニス(ガン)さばきは一流だね』

 『ペニス(ガン)の扱いは世界一さ』などなど、彼は一部地方で覇者として恐れられていた。だが最も恐れていたのは彼本人だった。彼ははじめての射精で天井に穴を開けて以来、膀胱から小便を解き放つ精神の余裕がなくなっていた。彼は頭と同じくらいの大きさの膀胱を引きずって生活している。

 祐子の肉片はレジに並ぶ中年女性の持つカゴや玉ねぎや歯周ポケットの奥の奥まで浸透した。

 「君の声を聞かせて」

 さらに獰猛な星野源は奇跡的に残っていた祐子の膣へこっそりと陰茎を忍び込ませる。あったかい……。

 だが惣菜コーナーにある祐子の口から声は出なかった。

 ホント泣いた。悲しくて……。ごめん……。

 

〈2019年2月6日 この小説は中原昌也という小説家に影響を受けて書きました。〉

 

 

 

 

星野源にまつわる話】

 

 星野源とかいう朝鮮人が、またもや我が国、日本を荒らしにやってきたようである。

 星野源が日本に上陸する際には警報なんてものは必要がない。正直言って、たくさんの人が死ぬ。死んでしまうのだが、警報は必要なく、政府が何かしらの対策を練ることもなく、ニュースで報じられることも、インターネットで片手間の肥やしにされることもない。

 それでもなお、どうして、どうして警報なんてものが必要ないのかというと、彼自身が大きな音を発しているからだ。そう、ちょうど自動車がその曲線美をなだらかな道に転がしてやる時に、どうしても音を出さずにはいられないように。

 そしてそれはこんな音である、

 


 YuuuuuuMeeeeeeeeeNnnnnn

 


 YuuuuuuMeeeeeeeeeNnnnnnという音が鳴り響くのだ。それも日本全体に。そして、言うまでもないが、近づいてくると、

 


 OoooooooNaKaaaaaaaaaaaNi

 


 と言う音が響いてくる。その次には

 


 ÆNMaNa

 


 と言う音にシフトする。

 随分と奇妙な音に思えるだろうが、アメリカン・コミックスなどに慣れていれば、そこまで変哲なものではないと理解できるはずだ。

 そして、日本全体に鳴り響くわけだから、それなりの音量である。特に日本海側の人たちはかわいそうである。一日中、星野源の鳴き声を聞いて過ごさなければならないのだから。

 私は星野源の鳴き声がよく聞こえる位置にいるかと言えば、そうではない。太平洋側に住んでいるためである。だが、太平洋側に住んでいるからといって、油断はできない。窓は常に二重でぎっちりと閉めておかないと、星野源が闖入してきて仕方がないからだ。特に春や秋といった気温がとても心地よい頃に、星野源がやってくるとひとたまりもない、網戸の間をところてんが滑り込んでくるように星野源がやってくるのだ。こうして考えてみると、日本海側に住んでいる人たちの、窓は一体何枚なのだろうか。考えて見ただけでもおぞましい。五重くらいしておかないと対策の意味がないのではないだろうか。なんていっても、あの星野源が侵入してくるはじめの場所なのだからだ。

 諸説はあるが、日本がバナナのような形に湾曲しているのは、定期的に星野源が朝鮮方面からやってきて、食い散らかしていったからである、と言われている。こちらの話は、誠に信じがたいことではあるが、信じがたいことであるために、真実であるこのことを世の中にしっかりと教えなければならないと、私はかねがね思っていて、さる出版社に勤めている知り合いに何枚か寄稿したことがある。彼、今は何をしているのだろうか。というのも、彼とは長らく何も話していないからである。彼は私の唯一の知り合いだったといっても過言ではない。そのため、私は最近とても寂しい。

 この文を書いていたいまも、やはり寂しい思いに駆られている。彼は私の唯一の知り合いであったと共に、私の唯一の喋り相手だったのだ。

 ああ、今日も星野源がやってくるのか。私は網戸のみの窓を横目で見やり、ため息をつく。

 「あの朝鮮人め……」

 全く、忌々しい。忌々しいことこの上ない。

 星野源がやってくる、ということは何を意味すると思うだろうか。ここまで詳しくは書いてこなかったが、星野源がやってくるというのは、端的にいって大量の人が死ぬ。だが、ゴジラがやってくるように、街をごちゃごちゃと荒らしてついでに人も殺してしまったぞ、というようなものではない。星野源はいつでも我々人間のみにフォーカスして、抹殺してくる。びっくりしたものだ。星野源のあの低いうなり声に耳をやられて死ぬものや、星野源のキツすぎる体臭にやられて死ぬものや、星野源の想像が容易な多様な女性遍歴にやられて死ぬものや、星野源の透明少女アコースティック・バージョンにやられて死ぬものや、様々な形で我々日本人を殺しにやってくる。恐ろしいことこの上ない。星野源が原因で死んだ人間は、第二次世界大戦の死者を軽く上回る。ただじゃ置けないのだ。

 私はこの状況に果てのない怒りを感じると共に、なにかしらSFめいた面白さを感じている。やはり、自分が犠牲者にならないまでには、その本当の恐怖を知ることは出来ないのだ。人間というものの浅はかさ、愚かしさを星野源を通して、内側から骨身に感じることがよくある。

 私だって人間だ。生きていると嫌なことだってある。そうした時、日本海側から《YuuuuuuMeeeeeeeeeNnnnnn・OoooooooNaKaaaaaaaaaaaNi・ÆNMaNa》と唸りながらやってくる朝鮮産の星野源の姿を思い出すと、かなりいい気分になる。あのクソッタレの野郎め……なにがマイセンだボケ……マイセンなんてもう置いてねえんだよ……メビウスって言うんだぜ、白髪が目立つ中間管理職よ……。そうして僕は頭の中で星野源に中間管理職を抹殺させるのだ。

 今日の星野源のうなり声は、いささか身体に堪える。全く、許しちゃおけない。この星野源をどうにかしないと、大変なことになることは間違いないのだ。と、前、彼に話したことがある。

 「大変なことになるんだよ」

 「ほう」彼は目をこすりながら「大変なことって?」

 「カタストロフだよ」

 「カタストロフ!」

 「カタストロフときたもんだ。残念だが、生活は続いてくんだ。暮らしがあるだけでな。君は、そういった日常の連鎖に耐えることができなくなってんじゃないのかな? ちょうど、中学二年生くらいになると陥るそれみたいにさ……」

 「冗談は、よしてくれないか。私はな、本気でいっているんだ。陰謀論でも、なんでもない。ましてや空想でもないんだからな」

 「そうなんでしょうね、自分にはわかりかねるが」

 「考えてもみなさいよ。私はね、中学の、ちょうど部活動に熱をいれはじめたころからずっと、星野源のうなり声が聞こえてきて仕方がないんですよ。なあ君、私の研究によると、星野源のうなり声が聞こえてくるのは個人差があるようだ。下の毛が生えはじめる前か……その後か……大雑把にわけるとこれだが、あんがい、下の毛が境目で五〇パーセントに分けられるんだな。面白いことに。そういえば、私が星野源のうなり声が聞こえてきた頃には、まだ、下の毛は生えていなかったな……」

 「へえ、知らないが、僕にはまだ、星野源の声は届いていないようだけどね」

 「私の統計によると、陰毛が生えてきて十年以内に星野源のうなり声が聞こえてくるのが、正常なんだ。つまりそうでなければ、異常……。君は、いまだツルツルであるか、もしくはそうでなくても、異常者であることは確実だな。泌尿器科に行くことをおすすめしたい」

 「そういうお前は精神科にでも行ったらどうだい」

 「そうやって、君は、私のことをおちょくる。いいかい、本当のことなんだ。どうして信じてくれないんだ。君だって、人との関わりを通して、この世界を生きているのだろう? そうしたら、ある程度は人を信じなければならないのではないだろうか? 違うか? 例えば……二個下の女の後輩が、彼氏に浮気されて、傷心気味であると……彼女自身から告白されたとする。間違いなく君は、信用するだろう? 事実として——事実というのは起こった出来事という意味で——信用するだろう? しかし、考えてもみてくれ。浮気だなんて、一番、信用しにくいことなんだからな。なんたって、たくさんの人もが関わってくるんだ。事実が、全く事実ではなかったなんてことは、ざらにあるんだ。反面、私は、直接、リアルに、ダイレクトに! 星野源のうなり声を聞いているんだ。理解してもらえるか?」

 「無理だね」彼はそういい、まだ半分ものんでいないブラック・コーヒーを置いて、ドトールから立ち去ってしまった。

 


 それから彼に会ったことはない。

 


 なにがいけなかったのだろうか。

 


 私はただ星野源について、悩んでいただけなのだ。

 


 いつしかこの世界の人間は、星野源によって抹殺される。そんな、必然的なことが、どうして誰にもわかってもらえないのだろうか。

 

 悲しくて仕方がない。

 


 私はもう、万策尽きてしまったようだ。

 

 

 

 


 たくさん考えてみたが、彼抜きで星野源の悪事を世に伝えることには、無理がある。

 もう、無理みたいなんだ。

 


 《YuuuuuuMeeeeeeeeeNnnnnn・OoooooooNaKaaaaaaaaaaaNi・ÆNMaNa》の鳴き声が、網戸からぬるぬると這い出てくる。

 いつしか《YuuuuuuMeeeeeeeeeNnnnnn・OoooooooNaKaaaaaaaaaaaNi・ÆNMaNa》、つまり星野源は、私の目の前で実体化し、鼻や口から入り込んでくる。ああ、私は星野源に殺されるんだ。唯一、星野源の悪事に気づけた人間だというから、星野源が抹殺しにきたんだ。情けない。情けないよお。私は沢山の人を救うはずだったのに、情けないよおお。

 涙と、星野源に塗れた私は、星野源の恋のディスクの穴にペニスを挿入して、射精した。

 その射精は、星野源星野源にまつわる人間を抹殺したかった、彼の最期の望みだったようだ。

 

〈2018年8月2日 星野源を見ると嫌いな人間を思い出す、という怒りからこの小説を書きました。この頃は中原昌也をまだ読んでいなくて、高橋源一郎という小説家に影響を受けて書きました。〉

大もりそばの太陽の念仏

これから綴る言葉が意味する出来事、それらは読者諸君にとっては信じがたい出来事であるのは確かだし、この文章はこれから綴られる言葉に先立って書かれたものではなく、一度書き終えてから書いたという、すなわちまえがきのようなものであり、先立ってというのであればこれから綴られる言葉の数々のはじめての読者はわたしなのである。だが書いたわたしでさえもそれらは信じがたく、もとよりわたしが体験した出来事ではないからであるような気がしないでもないが、ここでわたしが筆者であることを自称している以上わたしは筆者であり、話者であるのは事実であり、諸君にはそれを覆せる事実は持ち合わせていないのだから、つまり受け入れなければならない。ある日、それは彼にとって空を見上げてみると厚い雲が広がっていて、あかりというのが、つまり太陽のことだが、それの気配が全くなくならば俺が今こうして空を見る、つまりたくさんの色彩が交差するという、ただそれだけなのだが、そういった現象に疑問を浮かべひとしきり冷たい風を浴びたところで、思い直しをしたという言葉は俺にとって適していないけれど、彼を見ていた人たちはなぜそうも大振りに体の向きを変えて歩き出すのだろうと、そのことが疑問であったと思う。彼は体の向きをことさら大仰に変えたということで世界的な意見は合致する方向に向かっているし、その規模や価値はあまり大きくないために彼についての説明において、水戸駅ペデストリアンデッキで大仰に体を反転させた人、という文句が用いられることはないが、事実というものを事実あらしめるためには少数であれ情報が必要であり、目撃情報としての彼らの意見はこうして役に立っているし、役に立つというのはやはり道理から伸びた人間の感情がそれによって嬉しさを煽るものであるが、彼が振り向いた先に昔の恋人のような女が控えていたのは俺にとって嬉しいものでもなく、金輪際役に立つような出来事でもなければ、かえってコンマ数秒の反応で動悸のようなものに悩まされ、彼女に対して行っていた非道な仕打ちに胸を痛める傍ら、女の寂れた風采に対して無関心無関係を装わなければいけない気がしてしまうのであった。ところでわたしは脱線を恐れないし脱線をして良いのであればいくらでも脱線してやろうとなぜだかそちらの方にまで手腕を振るってしまうたちであるのだが、水戸という土地は何もないように見せかけておいて結構楽しめる土地であるし、福島なんかよりもずっともっと栄えていてというより福島のほとんど中心である郡山という土地は盆地で、そしてこの盆地という言葉を思い出すにはかなり時間ががかかっていて、それわたし自身の知識不足というかいろいろだめな点なのであり、それはいいとしてわたしは郡山を谷間と呼んでいたらいやらしい気持ちなどはないのだが、週刊誌的な気分の悪さを覚えていた俺はやはり汗を毛穴という毛穴から流して、特に生え際からは滝のように流していたし、滝のような潮吹きをしている女を想起させる成人向け雑誌の文句が俺とどうも合致しているようだと思うと、女そして女、聞こえてくる店員の甲高い声、耳元で囁かれるような「いらっしゃいませ」の声が聞こえてくる感じはただの自意識過剰で実際は俺の後ろで品出しをしながら時給780円のねじまきで機械にされた女の厚化粧な掛け声が背中合わせで響いてくるだけなのだし、いくら童顔とはいえ成人向け雑誌の前で佇む19歳に性的な好奇心を抱く女はいないだろう、そんな女は、と言葉が詰まり息がつまり、つまり詰まりというのは耳元で囁かれたのは「いらっしゃいませ」の声ではなくてあの女の寂れた雰囲気が細く口を開けて「(本名)」と舐めずったようなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ怖い!

 

走った。水戸のペデストリアンデッキの階段を登り、左のほうへ。川又書店を通り過ぎ。いや川又書店に居たいなと思ったし、というのも俺は本が好きだし村上春樹騎士団長殺しの文庫版の3と4が出ていて、それに惹かれたのもあったけれど、他には上田岳弘の私の恋人が気になっていて、なんというか、マジックリアリズム風で惹かれていて、磯崎憲一郎もそういった作風で最近は世紀の発見を読んであのゴツゴツとしているのにすんなりと身体に馴染む文体に虜になってしまい、肝心の子供/太陽の目も積んでいるから読みたいのだけれど、マジックリアリズムの大元の大元のマルケスエレンディラしか読んでいない叱責を感じて予告された殺人の記録を積んでいたことを思い出したのだが、彼らのマジックリアリズムは族長の秋っぽいのかな、などとゆらゆら考えて癒されていたのはわたしではなくて俺なのでわたしはそんな本は知らないし、そもそもわたしは本を読まないし、本などというのは大嫌いなのだ。わたしは水戸に住んでいないし、実を言うと俺も水戸に住んでいない。そんなことはどうでもよろしい。さてわたしはいま車に揺られていて、どこに連れて行かれるのかはよくわからないし、きっと俺もそんなことはわからなかったと思う。俺はあるところで誘拐された。あるところというのは逆川の橋から身を乗り出して緩やかな川の流れを眺めていたら、30センチくらいの小人に背中を押されそのまま川に頭から落ちてしまった。というのはわたしの考えであり、俺にはそんなこと分からなかったと思う。なぜなら背中を押されたのだ。俺は振り向かなかったし、俺のことを見ていた人は小人の他に誰もいなかった。そして俺はさざなみ立った鏡面の川に映る小人を見ることなく、驚きと恐ろしさからメ一杯目を瞑り、小人のおツムの3回りくらいの大きいくらいの俺の頭は川に落ちていった。目を覚ますとセダンの中で、セダンは国道118号線を走っていた。文京二丁目の橋に隣接している大学に見覚えはなく、いやあるのかもしれないがなにもわからず、唯一わかることと言えば左折すれば偕楽園に辿り着けて、運転席にはあの女があの風采で座っているという、ただそれだけだった。

そう、それだけだったのだ。道という道があらゆる道に続いていて、原因と結果、因果などというものが通らない、いやもしかしたら通るのかもしれないが、それは学問で、学問というのは永遠の言い訳でしかなく、なぜ言い訳なのかと言えば、学問には定義があり、定理があり、その中でしかそれらが効果をなさないのであれば、この大きな謎に包まれた世界というそれを解き明かしたくとも、世界が人差し指で少し押してやるだけでドミノがパタパタと、いや、ジェンガのようなものが建った地面に揺さぶりをかけたようにバラバラと、崩れてしまい、雑然とした瓦礫の散らばりがそこに見えるだけで、崩れる前と崩れた後の連関を繋ぐのは一体なんなのだろう、そう思うのは女にわたしは身ごもっていると言われたその瞬間であったことをちょうどいま思い出したし、それは本当にわたしの子なのか、ちゃんと避妊をしていたじゃないかと俺は言ってやったと記憶しているのだが、もしかしたら言っていないのかもしれない、それでも君があなたの子ですときっぱり言い放ったことは覚えているし、そのあと即座に君の腹を蹴りまくったことも記憶には新しく、言ってしまえばそれはいまなのであり、いま、君の足を柱に縛り付けて腹を一心不乱に蹴りつけていて はその間何も感じない は何も思わない は思い出したということになるのかもしれないけれど何を思い出したのかについてはわからずとりあえず出来事の前後がわからなくなっている身ごもったらしい女の腹を蹴りつけるまるで機械のようなただのそれになっていた。甲高い音が鳴った。それはご飯が炊けた合図なのだった。 はごはんのことを思い出した。そしてわたしは疲れを感じてきた。30センチ程度の小人がいま目の前に3人いる。それぞれこんなことを話していた「この間3800円もした美容室に行ったんだけど、あんまり質が良くなかった」「お前に髪なんてもともとなかっただろう」「いや、お前に見えていないだけなんだよ」小人ABCは丸メガネ、ウェリントンのメガネ、コンタクト姿だった。小人Cがコンタクトであることを見抜いたわたしはそれぞれの小人が流れてしまった赤子であることを悟った。わたしは線路の向こう側から西日を浴びて、小人Cの名前を思い出そうとした。

音楽についておもうことなど

2019年3月8日、銀行口座に新品CDが四枚くらい買える額のお金が振り込まれた。

そのお金はCDを売って手に入れたお金だった。ディスクユニオンに納めてきたのだ。

大切にしてきたアルバム、私を構成する9枚の中にいれておきたいような、そんなアルバムも茶色の厚紙に封じ込めて、パジャマ姿でヤマトのお兄さんにオレの寝癖を見せた。

ディスクユニオンに納めるのはこれで二度目だ。合わせて120枚は売ったことになるが、まだまだ家にはCDがある。ディスクユニオンに限らず、高く売れそうなやつはメルカリに納めてたりもした。今もしてる。

なにが問題か。

問題は、キング・クリムゾンさえも売ったことだ。

 

中学2年の秋口、オレはキング・クリムゾンを聴いていた。

 

あるところに宿泊をして、そこの周辺は鬱蒼とした林にぐるりと囲まれ、寝るときは寒くて仕方がなかった。うまく眠れず、朝も早く起きた。頭がちゃんと首に乗っかっていないような感覚でトイレを済ますと、一部屋しかない畳の寝床に戻った。窓が綺麗だった、というのも深夜の散々吹きすさぶ風でそのからだをサワサワ鳴らしていて、より一層寒さを煽ってきやがった林の間から光が星屑のように差し込んでいたのだ。窓から畳の上に刷毛で塗られたようなひだまりが出来ていて、オレはその真ん中にどっしりと座り込んで、キング・クリムゾンのBook of Saturdayを聴いた。最高だ

 

キング・クリムゾンの20世紀の精神異常者は、オレのなかのすべてを破壊した。飛び散った破片は、どれもこれも愚にも付かぬクズでしかなかった。オレは、そのクズをみて感動する人間だった。

もともと音楽なんてものは嫌いだったのだ。

歌詞とかいうのは、整合性はなければ心揺さぶるなにかもない。ウタを歌うやつは恥知らずのボケだ。

音楽なんて、所詮ウタだろ?

ま、そうかもしれんな

 

20世紀の精神異常者。それは7分間の喪失体験だ。

一聴して、気づいたらオレは最後のノイズを、なんのためらいもなく受け入れていた。しかも、このノイズが終わらなければいいと祈った。からだがゆらゆらして、まぶたが閉じた。

キング・クリムゾンを俺が聴けたのは、紛れもなくYouTubeのおかげだ。

無料音楽倉庫YouTubeのおかげだ。

あらゆるアーティストが売れないと、海賊版がなんとかで生活できないと、そんなことを言っている。

その中、月々定額で音楽が聴き放題のサービスが開始したりもした。

音楽は世界中の人間を感動させた。感動させ続けている。

 

20世紀の精神異常者がオレにもたらしたのは、非音楽だった。オレが思う、音楽ではない、だが音楽としか言いようがない、それ。

快感だ。

非音楽の快楽を味わったオレは、もっと、気持ちよくなりたかった。

プログレッシブ・ロック。オレはプログレッシブ・ロックのCDを限りなく売りさばいた。

オレは20世紀の精神異常者の持つ、非音楽の快楽を探してプログレッシブ・ロックの地図を広げた。

中学2年から高校1年の夏まで、オレのお小遣いをほぼ全てプログレッシブ・ロックのCDに捧げた。手に入れることが大切だったのだ。

プログレッシブ・ロック。音楽の廃市。

 

非音楽の到達すべき地点は、消しゴムなんだ。

音楽という言葉の前に非をつけ、最後には非音楽の文字さえも消してしまう。そしていつか誰かが消された文字の跡を見つける。彼にとってそれは宇宙だ。

面白い話がある。アメリカのロバート・ラウシェンバーグという画家が、先輩画家のデ・クーニングのデッサンを消しゴムで消した。

ロバート・ラウシェンバーグは、それを「消されたデ・クーニング」という作品として発表した。

 

音楽の頭に反を付けるようなやつは最低だ。そういうのは万年パンクの豚野郎に任せておけばいい。

あらゆるものに反を唱えるやつは、オレは嫌いだ。あらゆるものに非を唱え、波となってそれを消さなければならない。もしかしたらボトルメールを運ぶかもしれない。

反をつけた音楽の連なりは歴史だ。歴史には反の反や反の反の反や反の反の反の反などがあり、なんと理路整然としていて、熱がない。

彼らの熱は、彼らだけのものだった。

 

たとえばオレはナンバーガールが好きだ。

繰り返されるフレーズが頭の中でフラッシュバックしてやまない、あらゆる冷凍都市から突然発生するネコネズミの群れのようなユーモア。

ナンバーガールには、ユーモアがある。

罪と罰ドストエフスキーのこの本は題名を聞いただけで頭が重くなりそうだ。ドストエフスキーはデビュー当時ゴーゴリの再来だと言われた。ゴーゴリの書いた作品に有名なものがある。鼻という題名で、あるとき鼻が顔から抜け出してパンの間に挟まっていたり、往来を役人の格好をして一人歩きしていたり…… 

安部公房はどこかでサルトルの哲学について、ユーモアがない、ユーモアがなければ生きていけない、とコメントしていた。たぶん。

オレもそうだと思う。ユーモアというのは非音楽を表すのに最も近いなにかを感じる。

デメトリオ・ストラトス。彼はオレに最高の笑いと音楽を届けた。

ラグタイムにはどこかとぼけたような、アホっぽいところがある。喜劇音楽といったところかもしれない。

その喜劇さは、心を快活にさせる。ユーモアだ。

経済的に深刻なアーティスト。インスタント快楽の犠牲者。

犠牲者としか言いようがない。

無料音楽を嗜むわれら。

いい時代に生まれたものだ

一緒になって考えなければならない。音楽とはなにか。音楽のよろこびとはなにか。音楽の快楽とはなにか。

 

やけにうるさくて煙たい喫茶店や酒場で、ホンキートンクが打ち鳴らされ、ほとんど気が狂いそうになりながら踊り狂っていたわれら。

われらの音楽への愛は、あの頃から変わっていない。

 

あらゆる音楽は、存在するのだから、あらゆる人間を感動させることができる。

キング・クリムゾンはオレを感動させた。ひどいアルコールをオレにぶち込んできた。オレはそれに何年も酔わされた。あのノイズは陰毛の茂みのように悦楽的だ。非音楽にしかできない。音楽にも非にも無にもできない。オレの感動はただそこにある20世紀の精神異常者から感じたものだった。オレもまた、ホンキートンクで踊り狂う一人だ。いまも変わらず

スロット

 「あっ」ウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子が見えた。細く長い髪の毛はマフラーにもたれるようにしてたわみ、白いコートの中へ隠れている。白い綿が赤いマフラーにくっ付いている。女の子の近くにいる男の子(女の子のおもいびとだろう)がうつむきがちに女の子の肩やマフラーに乗る綿をはらっていた。男の子はスクエアの黒眼鏡を掛け、パイナップルみたいな頭をしていた。頬は赤いにきびだらけで、男の子が着ている子供っぽい服にそれはよく似合っているのだが、お世辞にも人を惹き寄せるような風采だとは言えなくて、二人の間にはまるで貴族と農民のような隔たりがあるように感じたし、その隔たりは男の子が女の子の肩やマフラーに付いた雪をはらっている間に漫然と浮かび上がってきた。男の子が自分で自分に付いた雪をはらい落とすと控え目に指をさし、女の子にもごもごとなにかを話していた。女の子はそれに頷くともなく頷いた。歩き出して少しすると、交差点の角で女の子は男の子の腕にすり寄っていき、赤く厚い男の子の手に指を絡めた。

  なんとなくその二人から見えない場所へと逃げた。二人はものすごく不安定かつややこしい関係から成り立っているに違いない。彼らを見ていると自分の胸にアイスピックを突きつけられたような感覚に襲われた。もういちど二人の行動を頭の中で思い浮かべてみる。確実に女の子は男の子を愛している、だが男の子の方はなにか煮え切らないようなそんな様子だった。いや、もしかしたらそれは真逆なのかもしれない。男の子は女の子を愛しているが、女の子が煮え切らない……つまりこの場合は複雑なのだが、女の子のアプローチの不完全さが男の子を不安にさせていて、それでもアプローチを受けているのだから、ということで受け身になってしまっているような。でもそれ以上に奇妙なものを感じた……。二人の行動だけ見ていれば把握できないような奇妙さ。異様さ。それはきっとウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子の曖昧模糊たる存在感ゆえだろう。すこしも気取ったところがない彼女の格好に、なにか奇妙な(奇妙という言葉がよく似合う)魅力があるのはそのウェリントンの大きな黒眼鏡のせいだろう。マネキンの服装のようなよく見かける格好に、ウェリントンの大きな黒眼鏡。ただひとつのアクセントにすぎないそれや、彼女の存在感が頭にこびりついている。ぶつぶつと独りごとを言って、しきりと歩き回っている。角があれば左へ曲がっている。マネキンの少女が無意識(無意識と言って差し支えないはずだ。なぜなら問題の眼鏡もありふれている眼鏡なのだから……)に選んでいたウェリントンの大きな黒眼鏡が、全体的な不均衡を生み出したのか、なんなのか……。とにかく、ここまでの考えが正しいかそうでないかの関係はなく、こうして彼女に惹かれつつあるということは認めなければならない。奇妙な魅力はもうすでに色気として作用している。彼女はほとんど無自覚的にその色気を撒き散らしている。その年に見合わない色気というものの正体を考えあぐねいていると、自分がむかし仲良くしていた女性へとたどり着いた。

 彼女はKといい、いたって突出したなにかがあるわけでもない、平凡な少女だった。細い髪(女の子の髪は細い!)が肩くらいで細身な感じだった。Kは自分の細さが気に入らなかったのだろう、よく大量にものを食べては吐き出していた、らしい。Kはことあるごとにそのことを話してきた。なぜ吐いてしまうのに大量にものを食べるのか、よくわからないところがあった。生返事をするとKはやけに悲しそうな顔をして、そのまま顔を伏せてしまった。それからの午後は一度も顔を上げることがなかった。いまでもKの行動はよくわからなかったし、最後に見たKについても肉が付いていたようではなかった。なぜこのことがちゃんと言えるのかといえば(大概、別れの季節というのは寒く、寒いということは厚着をしているため、身体のラインがわかりにくい)Kとセックスをしたからだった。それははじめてのセックスだったけれど、Kにとっては二回目のセックスだったらしい。なんの気なしにKの家へ行きそこで宿題を終わらせると、早く終わらせていたKが部屋のカーテンを閉めていきなり唇を合わせてきた。キスをしている間はKが見えなかった。そのかわりカーテンからもれた赤くほとばしる夕陽のやわらかさが、Kの身体のやわらかさをことさらに感じさせた。Kの身体は細いというよりかは無駄な肉がない、ほとんど理想的な身体つきをしていた。……だから変にいっぱい食べる必要はないんだよというとKの顔はたちまち陰り、Kは涙声で帰るように促した。Kに従って家を出てすぐに忘れ物をしたことに気がついた。そのことについて考えていると、初体験の悦びという印象がだんだんと薄れ、まるで性別を超えた存在になったような気がしたものだった。

 なぜKのことがこんなにも思い出されるのだろう。Kの後に関係を持った(肉体に限らずとも)女性はほかにもいるのに、なぜKが……。この道、駐車場と民家がどこまでも続きそうだ。なぜKが、なぜKが。ぶつぶつとつぶやく。前に進む意思なしに前に進む。自動車の音が近づいてくる。向こう側で行ったり来たりする音だ。そろそろ左へ曲がらなければと顔を上げる。するとあの女の子と男の子がやけにびっくりした表情ですぐ近くに立っている。この二人から逃げ出してきたのだけれどこうして再会してしまった。再会してしまったといっても彼らからしてみればたぶん面識はないただの通行人なのだ。だがそうすると彼らはなぜこんなにもびっくりした表情でいるのだろう?

 男の子の方はそのびっくりした表情でしばらく突っ立っていた。というのも男の子にとっては続けざまにびっくりすることが起きたからだろう。「だがそうすると彼らはなぜこんなにもびっくりした表情でいるのだろう?」と考えている最中に(頭の中に文が現れ、それを意識が追いかけている時に。意識の場所でいえば「情でいるの」のあたり)女の子が男の子の手に絡めていた指をあっけなく振りほどき、こちらの方へ飛びついてきたのだ(男の子の表情を真似したわけではないが、同じような顔になっていたと思う)。これだけならまだよかった(この後に起こることがなにもなかったとして、この女の子にどんな弁明の余地があるのだろう!)ものの、なんとこの女の子は首に回した手を引き寄せた。そのまま熱い抱擁を交わした。ウェリントンの大きな黒眼鏡は胸のあたりに押し付けられた。男の子の表情からみるみるうちに血の気が引いていく。そしてあろうことか、女の子は顔を上げぐいと首を引っ張り(白状すると、女の子はそこまで力を込めて首を引っ張ったわけではなかった)唇を合わせたのだった! 男の子は涙を流して立ちすくんでいた。逃げ出すことをしなかった彼に拍手。そして大粒の涙が溢れ落ちている男の子に振り向くこともせず(男の子は声を上げることさえしなかったのだ。拍手)、女の子は腕に腕を通して「あなたの家に行きたい」と言った(その時ちょうど運が悪く、大通りには一台も自動車が走っていなかった)。そのあとの赤にきび野郎のことはわからない。

 このアバズレ女! と思ったとしても、人生においてこれほどまでに完璧な優越感を味わったことはなく、心の中の叫び声が頭の後ろ方からするすると抜けていってしまう。彼女の方へ顔を向ける。女の子の身長はみぞおちくらいだ。まだまだ未熟で頬や首元にも幼い頃のあとが見える。母親の乳を飲みゆりかごですやすやと眠っていた頃の……。この、アバズレ女! しごきおろしてやりたい気分になる。今すぐにあの男の子に弁明(さっきも言ったように、この女に弁明の余地などない!)するか、もしくは正式に別れを言い渡してくるように説教してやりたい。だが、こうして未熟なりとも(未熟だからこそいいのさ)熟れている乳房を腕に当てられ(女の子は腕を組むのがお好きなようだ。それならあの男の子に対しては? ハ、ハ、ハ!)ているのは気分がいい。ウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子は、あの赤にきび野郎を捨ててまで「あなたの家に行きたい」と言った。まったくこの女は……。アバズレ女! 

 赤にきびを捨てた曲がり角から十五分くらい歩いて家に着いた。部屋はひどく荒れていた。この突然の来客に部屋も驚いているようだ。なんとか彼女に見せられるくらいに綺麗に片付けておかないと……。高鳴る胸の鼓動を抑えながら整理整頓や掃除をはじめた。申し訳ないけれど女の子には戸外で待っているように言った。上がらせて玄関で待っていてもらえばよかったなあなどとぼんやり考えていたら、あっという間に綺麗になった。部屋自体が早く綺麗になるように手助けしてくれたみたいだった。玄関のドアを開けてあたりを見渡すも、女の子はいなかった。ドアを閉めて探しに少し歩くと、敷地の中で女の子はしゃがんでいた。ちょうど見えなかっただけだったのだ。安心した。女の子はしゃがみこんで四つ葉のクローバーを探しているようだった。なんて可愛いのだろう。女の子に待たせてすまないと言い、家へ呼んだ。女の子はすっくと立ち上がり、身体をぴっとりとくっつけてきた。

 女の子を家に上げ玄関のドアを閉じた。なんだかものすごく悪いことをしている気分になってきた。これって犯罪なんじゃないだろうか。というよりまずこの女の子は何者なのだろう。どうして急に飛びついてきたのだろう、あの男の子を捨ててまで。捨ててまで……それはやはり甘美な響きを持っている。そしてまたもやウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子のあの色気に捉えられてしまう……。狭い部屋を案内する必要はまずなく、女の子は説明をうけなくても自然にどこかに座るだろうと思う。だからとくべつ家の説明はしないでベッドにぺたりと座り込んだ(初対面の女の子をベッドに座らせるような破廉恥な行為はありえない!)。女の子は男の部屋なんて慣れているというように振舞っている。というかなにか不自然らしい行動をなにも見せなかった。まるで自宅にいるみたいにコートをポールハンガーに掛けたし、足元に寄ってしまったタイツを伸ばしてしわを広げている。いったい、なにが彼女の目的なのか……。なんだか考え出しても意味がないような気がして、やめた。でも一応なりとも不安のようなものを女の子に伝えたかったから、何時ころに家に帰るのかと尋ねてみた。女の子からの返答はなかった。どういうことなんだ。それから二時間くらいが無言のうちに過ぎていった。女の子は宿題をしていた。なにもすることがなかったし、本を読んでいた。あっという間に読み終わった。そして女の子の方に身体を向け直す。女の子は宿題をとうに終わらせていたようで退屈していた。女の子をずっと眺めていると、女の子はすたすたと窓の方へ歩いていきカーテンを一気に閉めた。そして女の子はさっき曲がり角でしたように飛びついてきた。その勢いが強くベッドに投げ出される。女の子に押し倒されたのだ。そして、熱い接吻。女の子の首を通してカーテンが赤く燃えているのが見えた。女の子はセックスのあいだもウェリントンの大きな黒眼鏡を外さなかった。女の子は男物の下着を履いていた……。なぜだろう? よくわからなかった。でも女の子の身体にはそれがとてもよく似合っていたし、変には思えなかった。それでも奇妙なことに変わりはなく、それで考えていた。女の子は乳首を舐めている。そして思案顔を不審に思ったのか、顔を耳に近づけてきて囁いた。

——変わることはできない。人間は変わることはできないの。

 そのセリフには聞き覚えがあった。Kだ。初体験と同じじゃないか。気分が悪くなってきた……。心の中でそう思いながら実際は喜びのようなものに満ち溢れていた。今でもKのことが好きだったからだ。この女の子はKなのかもしれない。いやそれはおかしい。なぜならこの女の子はKではないからだ。確固たる理由がそこにある。だがそれを言葉で表すことができないのが残念だ。残念すぎる!

 女の子はこの一件からこの家に居座るようになった。まるでセックスが賃貸契約であるかのようにここで暮らすようになっていた。貯金や普段の稼ぎのおかげで金銭面での心配はなかったし、女の子はこの部屋に不満なんてものはないように見えた。

 女の子が家に住むようになってから、女の子は日に日に若返っていった。言葉通りに若返っていった。もともと若い女の子が若返るとなると身長が縮んでいく。目元や頬がぷっくらとしてきて、頬はその頬のやわらかな重みによって少しづつ垂れていく。ちょうど幼稚園生くらいにまで小さくなっている。一晩寝るたびに一年若返るようだった。女の子とは毎日セックスをした。だがそのセックスに飽きることはなかった。毎日若返っているのだ! だが、さすがに小学校低学年くらいまで若返るとセックスをするのもためらった。だが!女の子は例の色気を振りまいて誘った。その幼すぎる身体の一体どこに惹かれてしまうのだろうと自問自答しているうちに、彼女の誘惑に負けてしまっている……。罪悪感に苛まれて女児服を買いに走った。いくつかのかわいらしい服を買いあさって(急いでいたからカードで支払いを済ませた)、両腕にそれぞれ大きな袋を抱え帰宅する。部屋は真っ暗だった。玄関には今の女の子ではぶかぶかで履けたものではないだろう靴が見える。甘ったるい匂いが漂ってくる。良くない予感が頭の中にたちこめてきた……。狭い部屋で駆け出すと、角に足をぶつけて身体が前方に投げ出された。痛い! 足をさすりながら起き上がり(なんたって、肩も痛い!)ベッドに顔を向ける。さらに小さくなった女の子がそこに横たわっていた。十二時を過ぎてしまったのだ! 買ってきた女児服はどれもこれも今の女の子には合わなかった。小さい子の成長スピードをなめてはいけないのだ。そして困ったことに女の子とは会話すらできなかった。かわりに意味不明な言葉を喋りまくるようになった。女の子はそこまで若返ってしまったのだ。

 女の子が夜ごと小さくなるとウェリントンの大きな黒眼鏡も小さくなった。喃語を喋るようになってしまっても、ウェリントンの大きな黒眼鏡は女の子にフィットしていた。あの赤にきびと一緒にいた頃の女の子から感じた不釣り合いの感は色気となって現れていたし、お粥をいたるところに飛ばしているいまでもその色気は失われていなかった(もちろん不釣り合いの感から色気が出ていたのだ)。

 これ以上若返ってしまったらどうなってしまうのだろうと震えていた夜。この女の子をトイレに流して捨ててしまおうと考えていた。そんな恐ろしいことを考えているときに限って女の子はこちらに寝返りをうち、耳元に熱っぽい吐息を吹きかけてくる。そしてこう囁いた。

——変わることはできない。人間は変わることはできないの。

 一番変わってしまったのは、お前のほうじゃないか!

 朝。途方にくれた気分で目覚めた。ベッドから起き上がる。布団を剥がすとそこには二十代くらいの女性がいた。二十代くらいの女性はウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子だった。一目でわかった! なんだか嬉しくなって女の子を抱きしめた。つま先は女の子のお尻に触れていた。つまりこういうことらしい。女の子はある程度まで若返ると、二十代くらいまで戻る。多分その二十代くらいが女の子の実年齢なのだろう。

 思った通り、次に女の子がぎりぎりまで若返ると二十代くらいまで歳をとった。女の子自体はこの若返り現象になにか反応を示すことがなかった。あまりにも奇妙な女の子! それでもなにか害があるわけではなかった。むしろ益ばかりだった! 女の子の色気に翻弄されていて、女の子が家に転がり込んでから(連れてきたのは一体誰だ?)毎日が楽しかった。それでよかったのだ……。

 いま、二十代から少し若返ったくらいの女の子が目の前に佇んでいる。狂おしいほどの恋しさに襲われた。こんな、細く長い髪……。なにかちゃんとしたデートをしてみたいな……。付き合っているのだから! すこし不安になってきた。付き合っているのだろうか……。いや付き合っているだろう。同棲しているのだから! 付き合って、いるのだ! ああ、あの孤独な日々にいつのまにか別れを告げていただなんて!(いまでは女の子のいない生活など考えられない!) このウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子は、美しい。どこへだって連れて歩きたい! きっと男たちは羨ましがるだろう! ああ! 有頂天になりながら、女の子をちょっとした旅行に誘った。断られるか心配だった……。女の子はあっさりとこたえてくれた。しかも、嬉しそうに! 唇さえ当ててきた! ほとんど浮かれ調子になったところで、この女の子と旅行へ行きたい気持ちが天井まで高ぶってきて新幹線を押さえた。もちろん、明日!

 ウェリントンの大きな黒眼鏡をかけた女の子は家に来た日と同じ赤いマフラーと白いコートを着る。繊細でやわらかな手を取って歩き出す。シロツメクサの群れが見えた。あの中に四つ葉のクローバーがあるかどうかを探していたのは、もはや懐かしい記憶だ……。そして道へ出た。なんて素晴らしいのだろう! こうして歩いているだけで幸せだ。しかもこの女の子は人前に出て恥ずかしいのか掌に滑らかな指を這わせている。気分がいい! 寒さはどこかへ飛んで行ってしまったようだ。清潔で張り詰めた空気が漂う朝。こんなに素敵なことはない……。女の子は顔を赤らめている。なんて可愛らしいのだろう。新幹線に乗って温泉旅行へ向かう。日々の疲れを癒すためだ。でも疲れてなんかいなかった! これは恋だ! そうとしか考えられなかった。雪でも降らないだろうか……雪でも降ってきたら絵になる(どこに灯篭や提灯が果てしなく続いて雪が似合わないような温泉街があるのだろう!)……ロマンチックだ! 再び女の子を見る。女の子はやはり顔を赤らめていた。首に巻いているマフラーのように。女の子が驚いたように声を漏らす。雪が降ってきている! その雪はひらひらと落ちてきて、女の子のマフラーにくっ付いた。