「にゅー、ううん」
「はあーっ。はあーっ」
セックスをしている。
「んんんっ」
避妊具はつけていない。パイプベッドの軋む音が少ない。
「いっちゃった?」
「ふぇ?……いっぱい」
「はあっ。んんっ」
そろそろかと思い、避妊具を付ける。もう慣れた作業だ。
「出したあ?」
「出してないよ」
「寒い」
「ちょっと待って」
僕はまた彼女に挿れる。
「ええんっ。ぅん、ぇん」
「はあっ、はあっ」
「ちょっと下」……「もうちょっと下」
「ん……ここ?」
「そう」……「んんんっ」……「いいいっ」……「ぃぃぃうんっ」
「いったの」
「ふぇ?」……「すきにしてぇ?」
「んんー。もういっちゃうよ」
「いいよ」
「うううううっ」
「中出した?」
「ん?」
「中出した?」
「ふん」
「んーんんっ……?」
「出してないよ」
「んっ」
「抜くよ」
「ん、ん、んんんっ」……「オムライス」
「?」
「オムライス」
「オムライス、作んなきゃね」
彼女とのセックスは何度目になるのだろう。彼女はいつも求めてきた。ファミレスで注文を待っている間、僕の股間を足でさすり、欲情させた。そのあとは適当にファミレスのトイレでセックスをした。
夜、コンビニに買い出しに行く途中にある公園で、フェラチオをしたいと言い、そのようにすると、僕は興奮して、金網に手をやるように促して、セックスをした。
あのセックスより前、僕の誕生日には、いろいろ店を回って、それからホテルに着いたまま、僕を押し倒し「もうウチが我慢できないの」と言ってキスをし、首筋をぶっきらぼうに舐め、そのままセックスをした。
はじめてセックスをしたのが公園だった、そんなよくある嫌な思い出を払拭するために、生理中だというのに、公園のトイレでセックス行う姿勢になり、結局僕は調子が悪く、出来なかった。その言い訳と共に、安っぽい、過去に対する思い方を諭すと、彼女は泣いた。ずっと泣いていた。
僕は、安いな、と思って、彼女の肩を持っていた。
「吹奏楽しててー、うん」
「そうなんだ、僕も楽器上手くできたらなあ。なにやってたの?」
「ホルン!」
「ホルンかあ」
「うんー。そう」
「うちの友達にもホルンやってるやついたよ」
「へえ〜」
小野さんは顎を心持ち前に出して、体全体で頷いた。右手でシャープペンシルのキャップを外し、左手でゆっくりとペン先をいじっている。
「ホルンって言ったらヒンデミットとか? だよね」
「うんうん」
「そのくらいしか知らないなあ。あとはモーツァルト?」
「うんうん、そうだね」
「有名だよね」
「そうだね」
学生が続々と集まり、僕たちの背後には男子連中が陣取っていた。僕と小野さんが座るとなりの席は一つ空いていて、中国人の女性が座っている。首を傾げて薄いファンデーションが塗られた頬の稜線を撫でていた。大きい丸眼鏡の奥には、胡桃ほどの大きさの目が薄く開かれていて、無機質な教室の机を眺めていた。彼女が座っている椅子はやけに軋んで、座りなおすたびに嫌な音が鳴る。彼女からは「あまりに痩せすぎている」から、という理由で、高いホワイトチョコをもらった事がある。僕たちは話し続ける。
「うーん」
「……」
「ホルンってなんとなくわからない楽器なんだよね」
「うんうん」
「吹奏楽? ではどのくらい行ったの?」
「県南一位だったよー」
「おおすごい」
「えへへ」
「じゃあ有名なんだ」
「まあね、金綾高校とかはほんと強いから、負けちゃったけど」
「そうかあ」ことさら残念そうに、ため息混じりで言った。「でも、すごいと思うよ」
「だよねーへへへ」
「YouTubeにあるんだよ」
「へえ」
「水戸学の演奏」
「あとで調べて聞いてみるよ」
「うん」
後ろからビニール袋の擦れる音が聞こえる。続いてペットボトルの底が跳ねる音、紙の箱が鳴る音。
「買ってきた」
「ナイスう」
「あとで払うから」
「うい」
「バボラーク」
「え?」
「バボラークが好きなんだ」
「ごめん、僕そこまで詳しくなくて」
「バボラークが演奏してるホルンが好きなんだあ」
「へえ、聞いてみるよ」
「音色が綺麗なんだよね」
「そうなんだ」……「どんな音色?」
「なんというか、柔らかい?」
「ほうほう」
「とりあえず聞いてみるよ」
「聴いてみてー」
「ほいじゃ、講義はじめよかー」
大学がはじまる前に、僕はあらかじめ、Twitterのアカウントを作って、同大学生と繋がっていた。ここまではよくある。狡猾だったのは、性別を隠し、性別を問うものに対する嫌悪を隠さなかったことだった。
それに、思いつくがままにツイートし、文体は、Twitter慣れしている女性を装っていた。だが、一言も「私は女だ」とも「私は男だ」とも言わなかった。「性別」という区分を嫌っている女性。それが僕が作ろうとしていた、アカウントの像だった。
LGBTという言葉が流布していた頃だった。ということでこの意見は、いったん受け止められていたし、それ以上に「私はレズだ」と主張している子、るりがいたのが幸いだった。僕はるりに面白がられた。るりは同大学Twitter界隈で最もTwitter慣れしていた。親玉のような存在だった。るりにも小さなグループがあり、女性だけだったが、るりに好まれるのと同時に、彼女たちにも好かれた。
一方、男性陣からは奇妙な存在として扱われた。
僕は男に興味はない。どうでもいいやつら。その中に、お気持ち表明文をあけすけに書いてしまう阿呆がいた。こいつはおもしろいやつだ、と思って、男性では唯一、彼に接近した。
彼は、ぴーと言う。
僕は、しーと言う。
ぴーは、実里のことが好きだ。
しーは、実里のことが気になっている。簡潔に言って、セックスがしたい。裸がみたい。
ぴーと一緒に行動していると、なんだか、実里と、やけに絡もうとしている姿が映った。そのころには、あのお気持ち表明文も、恋愛じみたものになっていった。
ぴーと一番仲のいいのは、僕、しーだ。同じく履修している、俳句の講義で僕は、
「お前」と優しい声で言った。
「なんだよ」
「お前、何か思い悩んでるんだろう」
「だったらなんだよ」
「俺から助言してやる。思い煩いは消して、早く行動すべきだ」
「うるせえな。大体、何のことだよ」
履修生がぞろぞろとやってくる。
「お前、好きな人がいるだろ」
「だからなんだよ」
「俺にはその人が分かる。これは助言だ。あんなお気持ち表明してないで、さっさと告白したほうがいい」
「うっせえな」
講義がはじまる。おっと、僕は間違えていたようだ。さっきの「助言」は、「忠告」だった。
「あいつ、頭おかしいよ」僕はベッドの上で必死に説明しようとする。この大げさな身振り手振りで、何度も女から馬鹿にされている。体を横に向けて、垂れ下がった乳房を愛おしげに腕で押しながら、僕の腕を微笑みながら見ていた。
「ひどいよね」
女は嘘っぽく笑いながら、言った。
「君の方が断然頭おかしいから」
「いやだって」
「まず女の子のことを頭おかしいなんていうとか、信じられない」
「いやいや」
女は体を揺らす。ベッドが甲高い音を立てて軋む。
鼻にかかった笑い声が聞こえ、女が静かになるのを待った。「えへへへへ」
「なんかさ、変なんだ。掴み所がないって感じじゃない。掴もうとしても掴めないんじゃなくて、もともとそこにないみたいな感じ」
「おっ、文学少女ですねえ」
「うるさい」
「こう考えるのはいい。でも彼女は一切そんなことを考えていないんだ」
「処女だね」女はえへへと笑っている。
「少なくとも誰とも付き合ったことはなさそうだよ」
「かわいいね」
頭を撫でられた。
女は口元に笑みを浮かべている。目が細まり顔をかくんかくんと動かして、何度もえへ、えへ、えへへと笑った。それから次第に目を閉じて、唇を僕に突き出した。キスをした。女の唇から顔を離し、女の紫髪を眺めていたら「もう一回」と言われ、また唇を重ねた。女の唇は、顔のへこんだ位置にあった。だから首をよく傾けないと上手く唇を合わせられない。その唇はかぎりなく薄く、親のせいで地元から出れないでいる、とある女の子*を思い出させた。女は強引に舌を入れてくる。「もっと触って」女が耳元で囁く。左手を女の右の乳房にあてがい、体全体を滑らせるように触れる。
僕は、すり鉢状の一番奥で僕はあの女の子を求め、女の子は僕を一度も求めなかった。
「挿れて」女は体をくねらせて、僕の柔らかい陰茎に手を添える。僕は尿意を感じていた。
僕はコンクリートを歩いていた。家に帰ることは簡単だった。生まれ育った場所ではないけれど、住んでしばらく生活していると迷うことはできなくなっていた。片側一車線の大通りをただひたすら歩いていた。無心に歩いていた。数えきれないほどの電柱が剪定され、同じ長さになっている。蜘蛛の糸が垂れ下がっていた。もちろん電柱からは電線が伸びている。ハイビームをたいた軽自動車がカーブの終わりでスピードを上げた。轟音と共に風が僕の髪を吹き上げた。
通りを左に曲がる。車道側を向く電灯が見えた。この通りは細く、ろくに舗装されていない砂利道で、砂利の中にはダンゴムシやワラジ虫が顔を出していた。ワラジ虫をつつくと触れた指から逃げていった。後ろから来ていた軽自動車に轢かれた虫がいるかもしれない。死骸はどこにも見当たらなかった。僕は立ち上がって手を払い、ダンゴムシを踏み潰してそこに死骸があることを確認した。
「実里、おもしろい話ってなによ」
「おもしろい話かどうかはわからないけど」実里は肩を丸めてスマートフォンを覗き込んでいる。「ちょっとまってね」
「うん」
ついさっきスーパーで買った240円程度のビールを開けた。缶はひんやりとしていた。プルタブがめり込むと泡が飛び出て、僕はそれを慌てて啜った。
実里はスマートフォンの画面を下へ下へとスクロールしている。
白い泡を啜った勢いでビールを飲み込んで、心地よい感覚のなかで揺られている。
ネイビーの絨毯の上には白い食べかすのようなものが浮かんでいて、僕はそれを手で払った。目線をあげるとデニール数の低いタイツが見え、それはデニムのショート・パンツに続いている。
「僕、トイレ行ってくるね」
「はーい」
ヘアゴムで何重にも巻いた髪の上に、深い赤のリボンが飾られていた。ポニーテールの実里を上から見た。深い赤のリボンは傾いていて、真後ろからでは高すぎてリボンはうまく見えないだろう。
実里はスマートフォンを眺めている。
用を足して部屋へ戻ると、足を崩した実里が逆さまにしたスマートフォンに指を差していた。
「これ」
「見てみるよ」
「見ればだいたいわかる」
「見るよ」
とりとめもない会話が流れている。女が二人と男が一人。貞操の感覚も薄れてきた女性の無味乾燥な言葉を勘違いして、道化になっている哀れな、ぴー。
「こいつ、何度も話ぶりかえしてくるね」
「そうー。わたしは元彼の話をしてるのにいきなりさあ」
「笑っちゃうな」嫉妬のような、甘美な感情の揺らめきを感じていた僕は甚だ興味が失われてため息をついた。アルコールの匂いがした。
「ディープキスでこんな反応してるのウケるね」
「それな。ディープキスなんて大したことないのに」
実里は愉快に笑っている。その度にサイドの髪が揺れた。
「3Pしてないんでしょ?」
「うん、まず機会ないしね?」語尾を裏返るほどつりあげてそう言った。表情を変えずに体を前に出して真っ直ぐ前を向いている。
「だよね」
「うん。非現実的だよね」
「仮に3Pするとしても……」
「ふふふふっ」
「戸惑うだろうな、扱い方わかんなくて」
「どうしたらいいんだろうってね」
僕と実里は笑いあった。
「おや、ダブルフェラされたいとか言ってますね」
「まあそういう話だけならいいんだけどさ?」
「害はないしね」
「そうそう」
「それにしても実里と三島は揃って〈おん〉って……」
「そそ、適当でしょ?」
「見ててこっちがかわいそうになってくるよ」
「ふふふふっ」
僕はビールを一気に飲み干して、絨毯にへたりこんだ。実里の足がそこにあった。頭を乗せるとじんわりと暖かくて柔らかかった。実里は僕の頭を撫でた。髪を固めていたから、崩れないか心配になった。次第に僕は眠りこんでいった。
Twitterの名前が「しー」と「ぴー」で似てるからといって「カップリングなら、しーぴーかな? ぴーしーかな?」とふざけたことで盛り上がっていたのは、あの女を含めた寮の女性たちだった。
それを女の口から聞いたときは甚だ不愉快な思いをした。が、下らないことを言う女のことなら、ありえそうだと、納得もした。排泄の話を平気でする女だ。
「トイレ行ってくるね」と言った。女はスマホを忘れて、裸のままトイレに行った。僕は女のスマホを見た。
なぜだろうか、実里とのやりとりがあった。内容をかいつまんでみると
<しーさんは危険だから、注意した方がいい>
とのことに対する返信だったみたいだ。嫌な予感がした。
今日は、はじめて実里と話をした日だった。出まかせの口舌で僕は場を盛り上げつつ、僕対実里の会話に入り込んでくる者は、客席から届くツッコミのような役割だけを与え、終始、僕対実里の会話の体制を崩さなかった。それでも、些細な会話だったはず。そしてぴーは、よく分からない男だったから、ずっと絡んでやった。とてつもなく嫌がり、そのくせ、耳は赤くなっていた。
そんな時に女から連絡が来、僕はその場から退場し、女と約束されたセックスの会場へとむかっていたのだ。
「ん」
実里のかすかに動いた足で目が覚めた。
「寝ちゃった」
「おはよう」
「ごめんね。痛かった?」
「んーーん、大丈夫」
「そうか」
僕は可愛げに目をこすった。実里はスマートフォンの画面を見ていた。
興味ありげにその画面を覗き込んで、実里の体に近づいた。清潔な匂いがした。抱きしめた。実里は僕の頭を撫でた。
「細いね」
「そう?」
「50kgもないでしょ」
「まあね」
アルコールが抜けていく。頭が痛かった。ふらふらした。実里の細い体を抱きしめて暴風を耐えしのいでいるみたいだった。
実里は穏やかに足を動かしてクッキーを食べた。お腹が鳴ったら恥ずかしげに足を動かした。
顔を上げて実里の首元にキスをした。「ねえ」「ん?」実里のマスクを外した。僕と実里はキスをした。実里は僕の方へ顔を向けていた。僕は実里の頬を手のひらで触れ、愛おしくその首元に手を当てた。なぜだか胸を触る気にはならなかった。
つかの間の愛のようなものが終わると、僕は実里の小さな胸と胸の間に顔を埋めた。実里の小さな心臓が大きな音を立てて早く鳴っていた。実里を見上げた。
実里は変わらずにクッキーを食べてスマートフォンを眺めていた。ひとしきり咀嚼するとマスクを元に戻した。僕は穏やかな心音を聞いた。
それから僕と実里は話さなかった。陽光の中のような昼下がりだった。
僕はもう一度キスをしたくなって、キスをした。
「ねえ」
「ん?」
「セックスしようよ」
「んー」
「……」
「やだ」
「やだかあ」
「うん」
「ひどいね」
「どうして? ひどくはない」
「だってセックスとかしたければどうぞなんでしょ?」
「まあね」
僕は実里の足に頭をつけた。
ああ、生理?
うん。ごめんね。
んーーん、大丈夫。ごめんよ。
それから三十分後くらいに僕は言った。「いつか君とセックスがしたい」
実里はあいも変わらず正面を向いて「別にいいけど」と言った。
小野さんとコンサートの約束をした。結局、行かなかった。小野さんに会いたい気持ちが、全く無くなっていった。
女は界隈に属していなかったが、断続的に情交は続いていた。
「好きな女の子がいる」と、るりから聞いた。るりが好きな女の子だ。
「ひろみでしょ?」
「どうしてわかったの?」
「いっつもくっついてるじゃん。僕から見ると男を寄らせないようにしてるみたいだよ」
「あちゃ、ばれてたか」
「勘は鋭い方なんだ」
家にいる、るりは、自分から僕の家に来たいと言ってきた。話がしたいらしい。僕はなんとなく、予想はついていた。
「で、ぴーのことなんだけど……」
「ぴー、実里のことが好きなんだよね」
「そう、それはいいんだけど、あのグループをめちゃくちゃにしないでほしい」
「いま、ぴーだけが疎外されてるもんねえ。いつまで続くんだか」
「あれってどうしてそうなったの?」
「ぴーが実里に告白したんだよ」
「え」
告白を促したのは僕だ。残念なことに、セックスはできなかったが、二回、家に連れ込んで、あらかじめキスをしている。その口で僕は、ぴー・実里・三島のグループの内、三島が家へ泊まりに来た時、電話し、三島と共にぴーを励まし、実里に告白するよう、促した。ぴーは「どうしてそんなに言ってくれる……そんなにやさしいんだよお! 俺の心を読むな!」と絶叫しながら泣いていた。電話を切ったあと、二人が口にしたのは、
「あいつはあほだ」
という言葉だった。
三島ともセックスはしていない。というかこっちはどうでもいい、好みではなかったから。それでも、仲良くしてくるから、過去の話を聞いたりしていた。
むかし、三島の母と情夫がセックスしている様をみて、母親を刺したこと。
むかし、それで公正の何とかに送られ、小学生でセックスをしたこと。
むかし、演劇部で使っていた公民館のおじさんが好きになり、セックスをしたこと。
むかし、肌が透き通っていて、細くて、病弱がゆえに、長い間、入院生活を余儀なくされている、同性の大親友がいること。
僕と三島は、彼女とセックスした公園のブランコで揺れていた。
「あたし思うの。あの子が好きなんじゃないかって」
「それは、親友として?」
「ううん、しーさんと話してて、やっとわかったの。あの子の全てが好き。親友としても、恋人としても、性的にも。あたし、あの子に、あの子は病室から外に出られないから、いつか、一緒に旅ができるようにって、その為に生きて、大学に、しかも観光学部にまできたんだって。あたしの全部はあの子なの。男なんてどうだっていい。あの子が生きてさえくれればいい。あたしのいきがいなの。実里が、その子に似てるの。そっくり。だから、あんなやつ、ぴーにとられたくない。浮気じゃない。あたしの気持ち。友達として、仲良くなれた……しかもあの子に似てる子がとられるなんてやだ。ありがとう。君のおかげで、あたし、生きてる理由がはっきりとしたよ」
三島ははっきりと、感情的でなく、悟ったように話していた。
「なんでこんなこと気づかなかったんだろう」
二人は公園を去った。布団の中でキスをし、胸を揉んだ。それ以上は何もしていない。三島を抱きしめて寝ようとすると、三島が泣きだした。苦しんでいるような泣き方だった。
「どうしたの」
「ねえ、腕、細いね」
「僕の腕?」
「あの子みたい……」
「……」
三島は涙声で、
「ねえ、ね。死んじゃだめだよ」……「絶対、死んじゃだめだよ」
と言った。
そのとき、僕の体重は五十三キロを切っていた。
「じゃっ、そろそろ」
「ああ、帰るのか」
「おじゃましましたー」
「ちょっとまって早い」
「帰るときは早いのです」
「それにしても早すぎる待って」
家の扉が閉められ、実里はその向こうで歩いていた。僕は財布と携帯を持ち、眼鏡をかけて家を出た。実里はすたすたと歩いていた。
「なんでこうも待たないの」
「いやだって帰る道わかるし、ほら電車来ちゃうから」
「いやでも、送るよ」
「そう」
「君って変だよね」
「そう?」
「そう言われないの?」
言われないなあ、と実里は笑って応える。
「うそつけ」
「うそじゃないよお」
「こんなすたすた帰る人はじめてだよ」
線路沿いに傾いた太陽が、薄紫の光を湛えて輝いていた。レジ袋を持った主婦が頬と眉間にしわを寄せ、つらそうな表情で歩いている。
僕と実里はしばらく無言で歩いていた。
「あのさ」
「んー」
「そういうはなしって、よく相談とかされてた?」
「いーや?」
「あ、そうなんだ」
「うん」
「いやね、僕はそういうはなしを中学からずっとされてたの」
「うん」
「こいつなら話せる、話してもいいや、信用できる、みたいにね」
「あー」
「それで聞いてるとさ、あまりにもひどいパターンとかもあるんだよ」
「へえ」
「例えばね、夫婦別居してて普段生活してるお父さんの家はほとんどゴミ屋敷で、お母さんの家ではお母さんとその愛人が暮らしてる。で、中学生のその女の子は毎日そこを行ったり来たりしてる」
「ほう」
「すごいよね」
「すごいと思う」
「こういうのをずーっと聞かされてたわけだよ」
「君が望んで聞いてるんでしょ?」
「鋭いね」
「まあ」
「そういう話を聞いてるとさ、聞いてるのはそりゃ楽しいんだけど」
「うん」
「自殺するだとか不倫するだとか、そういうのもただの出来事にすぎなくて、例えば石ころを蹴るのと同じ出来事みたいに思える」
「あー、わかるよ」
「わかる?」
「うん」
「なんか、自分で自分を試し続けてるみたいだなって」
「ふーん」
「ふーん、だよね。なにも言えないよね、まあ適当な答えを言われるよりかはいいよ」
「ふふふふっ」
「あいつにはそれができないからな」
「あー」
「そろそろだね」
「うん」
「今日はありがとね」
「うん」
「よかったらまた来てね」
「バイバイ」
「バイバイ」
大学がはじまる前に、オフ会をしていたらしかった。大学がはじまって二日目にそれを知った。
「私、行ったの。あのオフ会。友達と一緒に」
「え! 行ったんだ」
「そうなの」
「どうだったの、オフ会。いい男いた?」僕は冗談でそう言った。
「いないいない。全員ダメ。もともと仲いい子同士で固まってて、全然みんな交流しようとしないの」
「うわー、やだね」
「その中で、後ろでずっとスマホいじって歩いてる、ううんと、ぴーさん? が気味悪くって、友達と一緒に途中で帰ってきたの」
女はほんとうにおもしろそうな話ぶりだった。はじめて会って、とりあえず近場のラーメン屋に行って、そのあと、この辺を全く知らないというから、一緒に散歩しているときだった。ラーメン屋で隠し撮りされ、インスタに投稿され、一定数は僕を男なのではないか、と思わせたようだった、顔を隠す良心はあったようなので。
「実際、楽しかった?」実際、と使うのは何度目か。僕たちは右に曲がり、話を続けていた。桜のトンネルのようなところで、女は写真を撮っていた「きれい、きれい。桜吹雪だねー」、僕はまた写真を撮られないようにと全力で逃げ回っていた。
この道を真っすぐ行くと、女が住む寮に着く。
その前に僕の家がある。
僕は彼女を家に誘った。やましい気持ちは余りなかった。でも、付き合っている彼女から解放されたい思いでいっぱいだったことも確かだ。
女は、軽く拒みつつ、
「いっちゃおっかな」とつぶやいた。セックスをした。
実里に振られたぴーは、やけになっていた。実里の次に好きな、ひろみに告白しようとしていた。僕は、これはおもしろいことになるぞ、と思って、あれやこれや助言をした。
その端々に実里を諦めきれない様子があった。面倒なので「<せめてヤらせてくれ>とか言ったら?」と唆したら、本当にそう言ったらしく、さらに嫌われる結果になった。
ぴー・実里・三島グループは、童貞を囲む慰めチームのようなものだったらしい。実里とはキスをしたらしいし、三島に至っては学内のトイレでフェラチオをしてもらってたそうだ。後者はどうでもいいが、ちゃんとした恋愛をしたいとか抜かしてる癖に、ぬけぬけとキスをしてるのはバカだ、と先に唇を奪っておいた口で言った。
ぴーは、近いうちにひろみに告白しに行くらしい。
僕と三島が集まり、喫煙所でちょっとした会議をした。ぴーをどうするかについてだ。
それでは、僕の意見が通った。ひろみを呼び出して、これからぴーがしようとしていることを話して、警戒してもらう。実行に移った。
ひろみだけを呼び出したはずが、ひろみの他に、小さなグループ員である、るりとちえまで来ていた。僕からの連絡では、男女二人はまずいだろうから、こっちには三島もいる。と伝えておいたのに。
僕はその場で、最近のぴーを含めた実里・三島の一連の行為、ぴーのこれから予想される行動、全てを話した。そこで「セックス」及び「フェラチオ」などという言葉も、そのまま使って、生々しく教えた。警戒の意味を込めてだったが、これが影響して、るりに嫌われた。
「あそこまで言う必要なかったのに」という言い分だ。
僕は元々、この界隈に属してたわけではない。出たり入ったりする稀な人間だった。これ以上なにかおもしろいことが起きることはないだろう、そう考えて、大きな界隈から出ることにした。実際、ぴーと実里と三島、ひろみについては、かなりうやむやな形で終わりを迎え、ぴーは僕を無視するようになった。そのさまを撮影した動画をツイートしたら、
「やりすぎだ」
と諭された。僕は楽しんでいたが。
* のちに知ったことだが、あの女の子は看護学校に通っている。彼女のことだから頑張りすぎていないかと心配になった。そのことについて彼女と話していると、彼女は「私は忙しいのが好きなの」と真面目な顔で言った。会話のうちに彼女が休学中であり、いまは夜の仕事の帰りであることを知った。大人びていた。老けていると言ってもいい。おふざけで、彼女は笑いながら、僕の目元にアイラインを引いた。「気持ち悪っ」と言っていた。